Chitchies

13歳のパグ犬チッチと5●歳飼い主夫婦の、ドジでおまぬけな毎日。

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遥かなる想い

本文とは関係ありませんが・・

ワイルドな性格が災いし、青春時代何かと苦労した、という話を、何度か書いた。
母には「私が生んだ子じゃないみたい(に怖い)」と言わしめた。

そんな私だが、約半世紀生きてきて、最近は我ながら「丸くなったなあ」と思う。(体型の話じゃにゃいよ^^;)
そして、それ以上に我ながら「普通の人になれたなあ」と思う。

両親は、生真面目で実直な人間だが、考え方としてはちょっと変わっているというか、ぶっとんどる、というか・・・・(-"-)
世間一般常識や、オーソドックスな、一般人的思考から逸脱していることが多々ある。

そんな親に、ほぼ放任で育てられた私は、社会に出るまで、また、出てからも何かと苦労した。

でもまあ、10代も後半、ほぼ大人になって以降は、親の責任というのはあまり関係がないかな、とも思う。

いまでこそ、インターネットでなんでも調べられるから、たとえばこういう時はこうするもの、みたいな、マナーであるとか、社会の風習であるとかを、簡単にググることができるが、若い頃はそんなものはなかった。

でも、知ろうとすれば、調べようはあるものも、別に気にせず、調べる気もなかったのだ。
普通の女の子のように振る舞うことが、恥ずかしくてどうもできなかったし。
結果、時折「普通と違う」一線を越えてしまったり、くすくす笑われるような始末になったわけだ。

「普通」ってナニ?人に迷惑をかけたわけじゃなし、何が悪いの?みたいな
不思議な自尊心もあいまって、まあ、ちょっと変な人だったかもね。

要は、呑気で、お子ちゃまで、茫漠と若さの無駄遣いをしていたのかもしれない。
あの頃の自分に戻れるなら、
いや、もしもあの頃の自分にアドバイスをすることができるなら、言ってやりたいことは山ほどある。

そんなおバカな私を、ここまで・・というか、まあ世の中のレールから逸脱することなく、現在に至るまで育ててくれたのは、ほかならぬ、周囲の他人である。

数少ない、学生時代からの友人たち。
お世話になった先生
近所に住んでいたおばちゃん。
学校帰りの喫茶店のマスター
そして、会社の上司や先輩たち

なかでも、私が社会人としてそれなりに成長していく過程で、強烈な影響を与えてくれた人物が何人かいる。

その中の2人に、久しぶりに会ってきた。
25年前の上司だ。

新卒で入社した会社の、直属の上司、当時主任だったAさんと、課長だったSさん。
また、同じ部でかわいがってもらった先輩(といいつつ年下だけど)のYさんと私の4人。
ホワイトディの3月14日
10数年ぶりにランチをご一緒させてもらった。

Sさんは御年81歳、今でも毎日スポーツジムで身体を鍛え、駅の階段もサクサク上る。

Sさんには、会社時代から、現在に至るまで、毎年バレンタインデーに贈り物をしている。
お返しに、と必ず3月14日には、私の贈った子供だましのようなプレゼントに、そらもう倍返しで、立派なお花が届いたり、気の利いた和菓子が届いたり。
かえってもうしわけないとは思いつつ、もう20年以上も、そんなやり取りが続いている。

このイベントのおかげで、毎年2月と3月に、必ず電話する機会ができる。
前の1年をどんなふうに過ごされたかは、そのときに聞けたので、久しぶりにお会いしても、それほど久しぶりな感じはなかった。

今年いただいた年賀状に、去年の夏1週間入院された、と書かれていた。
松が明けてすぐ、一度電話して、命に係わる病気ではなかったことを確認し、安堵したが、
その時、会おうと思えば、いつでも会えると思って、先延ばしにしていてはダメだ、と思った。
それで、私から「会いませんか」と、Yさんに連絡を取ったのだ。

Aさん、Yさんとは、実に12,3年ぶりだ。
Aさんが、私の上司だったのは数年で、Sさんが退職された後、じきにアメリカに赴任してしまった。
日本に帰国された際に一度会ったが、その後、なかなか会う機会がなかった。

Aさん、Sさんという、会社でもかなりキレ者だった二人に育てられた私は、他のどの上司も物足りず、また、新しい上司にも、私のことが扱いにくいのか、お荷物にされた。
景気の悪化、事務所の移転や、私の結婚などなど、その間色々あったが
結局、9年で会社を辞めた。

今でも、この二人と机を並べて働いていたころのことが、奇跡のようにも思える。
懐かしくてたまらない。

先に書いたように、「会社員とは」、「仕事とは」・・から教わらなければならなかった私に、実際のところ二人は、私になにか丁寧に教えてくれたわけではなかった。

「職業人とはこうあるもの」
「人事部の人間とは、こういうものだ」を自ら示してくれただけだ。

次の年に入ってくる新入社員を選考するために、応募者に会社の説明をする。
Aさんの説明を、2,3度、後ろに立って聞いていた。
「聞いてたな、じゃ、つぎやってみろ」
「えっ?」
10数人は集まった一つ下、場合によっては年上の応募者の前で、いきなり入ったばかりの会社を説明し、質問に答えなければならないのだ。
「そんなの無理です」
「大丈夫、ダメだったらフォローしてやるから」

仕事中、間違っていればビシッと叱られる。
電話などでも、私が間違ったことを言っていれば、切った後すぐに指摘された。

事務作業も、当時はまだパソコンはなく、手作業も多かった。

Sさんは、中もロクに確認せず判を押す。
現金の出金伝票などは、これこれに使いました。・・と説明しようとすると、聞きもせず
「机にあるから(印鑑が)押しといて」

自分の部下を全面的に信用する。
信用された方はたまったものではない、何かあったらSさんの責任になるのだ。
間違いが起きないよう、かえって慎重になる

そうかと気を緩めていると、時々ドカンと叱られる。
会議の資料を必要部数、コピーをとり、まとめてホッチキスでとじる。

人数分まとめて、Sさんに渡すと
「なんだこれは!」
突っ返される。

何が悪かったかわからない。

書類がきちんと角で揃えられていない、資料の折り目が曲がっている。
「こんなの使えるか、カッコ悪い!」
大きな声で叱られる。
でも、叱るのは一度だけだ。

同じことを私が繰り返したら、もう二度と同じ仕事は頼まれない。
だから、一度叱られたことは、絶対にもうしない。

嫌われたくないし、また、仕事を頼まれたいから、こちらも必死だ。

Sさんの机の引き出しはいつもきちんと整理され、必要最小限の書類しかなかった。
古い資料はみんな処分してしまう。
経過は頭に入っているので、古い書類は不要なのだ。

こんなカッコイイ、サムライのような上司とは、多分もう出会えない。
二人の下から離れたときの喪失感は大きかった。

母にはよく
「お前は、初めが良すぎちゃったから、我慢がきかないんだね」って慰められた。

22で大学を卒業し、25年以上会社勤めを続けてきた。
二人と机を並べていたのは、そのうち数年だ。
でも、私の心の中で、上司というか、「ボス」は今でもこの二人なのだ。

食事はとても楽しかった。
日本橋のべに花は、Sさん御用達のお店だ。
4人でテーブルを囲んで、とりとめのない話に花が咲く。
とても12年ぶりには思えなかった。
明日もまた、隣に座って話の続きができそうな気になった。

この日のランチをアレンジしてくれたY先輩も、年下だけど、私はとても尊敬している。
社内での身のこなし方を、私はずいぶん、この人から学んだ。
ニコニコといつも朗らかで、でも言うべき時はピシッという。
必ず、相手を尊重して一歩引き気味に話す、実際には核心に触れていても、この人が話していると怒る人はいないのだ。

彼女は結婚し、子供を4人も産んで、育児に追われながら、いまもこの会社に勤めている。

今は、アメリカから戻ったAさんが人事部長で、その下で一緒に仕事をしているそうだ。

今まで、この会社を辞めたことを後悔したことはあまりなかったけれど、
そのことを聞いたとき、本当に羨ましかった。

本当は伝えたいこと、話したいこと、色々あったはずなのに
世間話をして、散々笑って、近い再会を約束して帰ってきた。

今の私が、今の私でいるのは、みなさんのおかげである。

一番伝えたかったけど言えなかった
ありがとうという気持ち

伝わっているといいなあと、そう思う
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