Chitchies

14歳のパグ犬チッチと5●歳飼い主夫婦の、ドジでおまぬけな毎日。

2015年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年04月

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花見2015 もしかしてpart1?

お花見で~す!

春分の日を過ぎて、急激に春が来た。
ぐんぐんと気温が上がり、すでにチッチ君、夜の散歩でも服を着せるとガハってしまうようになった(泣)
仕方ないので、毎晩「スギちゃん」で出撃である(-_-;)

あと2,3日待って~って思っていたけど、桜が開花した。
なぜ、「待って」かというと、満開が週末にあたるように咲いてほしかったのだ。

どれだけ寒い冬でも、同じ時期にちゃんと春はくる。
また、冬が寒ければ寒いほど、花がつくそうだ。

ニュースでは
「今年の桜は駆け足」
「今週は『花冷え』はなさそう」

う~ん。

我が家のお花見、想定では来週の土曜日(4月4日)を予定していたのだが、それだと去年のように花吹雪になりそうだ。

こういうところは、ほんとに我が家、笑えるくらい「似た者夫婦」である。

主人もニュースを見るたび
「まずいな」
とか
「悩むな」
などと、ブツブツ言っている(笑)

今週土曜日は、主人は会社のガン検診、私は歯医者の予約が入っている。
家の前の桜の木は、まだ1分も咲いていない。

「土曜日、午後行っちゃうか?」
「え~、まだ早いでしょ~」
「日曜日でもいいけど、日曜、雨なんだよ」
「え、そうなの?」

お出かけは、早起きが鉄則の我が家、どうも午後発というのは、気分が乗らない。
道が混んだり、駐車場に並んだりすれば主人の機嫌も怪しいし・・・

「来週でいいんじゃないの?」
「まあ、今週行って、ダメならまた来週行ってもいいし」
「へっ??」

なんでこんなに、主人が乗り気なのかよく分からん・・・
いつもは
「いやいや」
「私が行きたいというから仕方なく」
というスタイルを崩さないのだが・・・

でも、連れて行ってくれると言うのなら、私は常に「ノル」のだ。

というわけで・・・(^^;

花見に行ってきた。

良い天気です

高速は少し渋滞していたが、いつもの駐車場には、すんなり停められた。
やはりまだ満開じゃないからかな?
そういいながら、チッチのカートを出し、千鳥ヶ淵沿道へ・・・

車からの道すがら、あちこちに見かける桜は、満開に近いものから、まったくまだまだなものまで、木によって差があった。

一番きれいだったのは国立劇場の前だったけど、あれは八重桜じゃないかな?

千鳥ヶ淵の桜も木によって、かなり咲いているものと、まだまだ~って感じとずいぶん差があった。
それでも、たくさんの花見客で賑わっていた。

チッチのカートが邪魔になるといけないので、外側の道路を歩き、ここぞ!というところはチッチを抱っこしていって記念撮影!
チッチを抱っこしていると、すれ違う人が皆さん優しく声をかけてくれる。

お、このあたり花がたくさん咲いている、と主人を呼ぶと
「ダメ、ここは日が当たってない」
じゃあ、ここは?
「後ろに電線がある」
カメラマンは意外と小うるさいのだ。

対岸の桜はまだまだって感じでした

満開はもちろん壮観だけれど、この日はだいたい、五分~六分というところだったか。
ただ、これから満開になるぞ、と、こちらがそういう先入観で見ているからか、どの桜の樹もなんだか勢いがある。

「あと2,3日で満開になるんだろ?こうしている間もどんどん開いているってことかなあ」
花は満開、旅行は快晴、が信条の主人だが、まんざらでもなさそうだ。

カメラを向けるとソッポを向きます。

チッチはカートで運ばれながらきょろきょろしている。

千鳥ヶ淵沿道には260本の桜の樹があるそうだ。
そのどれもが、いざ、花を開かんと、パワーアップしている感じがした。

ひとしきり歩いたところに、ヤクルトさんが来ていた。
ヨーグルトとジョアを買って、チッチにもヨーグルトを食べさせてあげた。

その後、どこか寄り道したかったけれど、時間的に半端だったので、結局夕焼けの高速に乗って家に帰った。

いい花見だった。
まずは、年中行事をひとつおさえたってことで・・(^^♪フフフ
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| チッチとお出かけ | 23:35 | comments:4 | trackbacks(-) | TOP↑

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ガーラ、スキ SKI~

快晴~


そんなわけで

先週は、日帰りスキーに行ってきた。
上野駅、6:42の新幹線に乗るには、家を5時台に出なければならない・・・
駅までは主人兄が送ってくれたので、予定より1本早い電車に乗れた。

後で振り返ると、この1本早かったのは、本当に助かった。
なぜなら
3月のダイヤ改正で、なんと新幹線の車内販売が無くなってしまったらしい(ビックリ)。
当初の予定では、新幹線の中でサンドイッチとコーヒーでも買って、朝食にしようと思っていたのだ。
時間に余裕があったので、駅で買えたのだが、社内販売がないことを知らなかったので、危ないところだった・・・
まあ、食べそびれたところで、新幹線の乗車時間は1時間ちょっとなんだけどね。

3人並んで、朝にしては豪華な駅弁を食べ終わった頃には、もう到着である。
長い関越トンネルを出たら、そこは雪国~!という図を想像していたが
からりと晴れていて、道路にはもう雪がなかった^^;

春分の日だもんね、そらそうだ・・・

新幹線は「ガーラ湯沢行き」だったけれど、越後湯沢でずいぶんのお客さんが降りてしまった。
みんなスキー客かと思ってたけど違うんだ。

この分じゃ、そんなに混んでいないのかな?

これじゃわからないけど、たくさん人がいました

混んでいた^^;。

駅の改札を出るとすぐに、レンタルスキーなどのカウンターがある。
JRのお姉さんに「結構混みますから、申込書は書いておいてください」って」言われたのだが、なるほど、かなりの列になっている。
初めは余裕の表情だった主人

主人と甥っこは、スノーボードをやるという。

主人いわく
「これからはスノボでしょ!」

甥っ子は
「どっちでもいい」

甥っ子はどちらにしても初めてなので、午前中はスクールを申し込むつもりなので、主人も一緒にスノボにするそうだ。

そんなに、私とスキーを滑るのが嫌なのかい!・・と思ったが、まあいいや。
逆に、主人は私にもスノーボードにしろとうるさかったが、これは断固拒否!

ただでさえ、20数年ぶりだし、日ごろ全く運動していないのだから、得意なハズのスキーでさえ、ちゃんと滑れるかどうか怪しい・・
初めてのスノボなど、できるわけがない。

もめている時間が惜しいので、私はスキーの列、主人と甥はスノボの列に並ぶ。
でも、係りの人に確認したら、同じグループなら、どちらかに並べばよかったらしい。
結構な速さで、列はサクサクと進んでいく。
同じカウンターで、スキー、スキー靴、スノーボード、スノボの靴、そしてウエア、全部出してくれる。
申込用紙に書かれたサイズや身長などをチェックし、すごいスピードで揃えてくれる。
ウエアとか選べるのかな~なんて思っていたんだけど、そんな感じはなく・・・(^^;)

ハイコレ靴、ハイコレ板、ハイコレ、ウエアです!いってらっしゃーい! って感じ

見ると、スキーの板がずいぶん短い。

自慢だが^^;、若い頃は身長より20cm近く長い板をはいていた
「あの、もうちょっと長い板ないんですか?」
「最近は身長マイナス10センチが標準です」

え~っ、そうなの~???
しかも、板がかなり太くて、先端が丸い。(これに騙されて、あとで怪我をする(-_-;))

ウエアも、男性用も女性用もない、ガボガボっとしたツリズボン(^^;)と、ガバガバっとしたジャケットだ。
これは、体型がカバーされて好都合だけど・・(^^♪
グローブも昔のモノとは全く違うし。

私の20年モノのグッズが断捨離されるわけだ・・・と内心思ったが、決して口には出さなかった(^^;

この手軽さが売りなので、レンタルを利用する人が多い。
ゲレンデに出ると、同じウエアの人や、同じ板の人がたくさんいて、ちょっと笑えた。

借りた道具を手分けして運び、男女更衣室に分かれる。
更衣室の奥を出れば、もうゴンドラに乗れる構造になっている。
ほんと、便利な施設だ。

色々と変わっていて、驚いたが、一番変わってて欲しかったスキー靴は、あまり変わらない(-_-;)
履くと歩きにくいし、バックルを締めると足首が痛い。
ゴンドラに乗るまでで、結構疲れた(-"-)
それに比べて、スノボの靴は柔らかいらしく、主人と甥っ子はテクテクと行ってしまう。

ゴンドラに乗って、山頂駅に行き、今度はスクールの申し込み。
初心者コースは10時から一時間半で1500円という、超良心的価格だ。
(これに比べてロッカーの1000円は高くねーか?と思ったが、まあ言うまい(←言ってる^^;)
初リフトの二人、後姿ソックリ

「え~10時から~?8時に着いちゃって、それまで何やってるんだよ」
なんて、言っていたが、時計を見れば、すでに9時半をまわっている。

スノボ組の主人と甥っ子を残し、私は一本リフトで上がってみた。
もってこいの春スキー日和、抜けるような青空で、ちょっと動くともう暑い。
借りてきたライムグリーンのジャケットは、丸めてリュックに入れ、ついに一度も着なかった。
ウォーミングアップのつもりで、ゆっくり目に滑ってみた。
どうもまだ板が馴染まない。
少しスピードが出てくると、結構肩や腰に力が入ってくるのが分かる。

主人にブイブイ言っていた手前、もうちょっとうまく滑りたいんだけど、なんだかへっぴり腰。
それでも、久しぶりに雪の上を滑っていく感覚は気持ちが良かった。
下りていくと、主人と甥っ子は「初心者コース」で先生の説明を聞いている。
スクールの間、私はレストハウスに入って休憩したり、主人と甥っ子が奮闘しているのを覗いたり、のんびり過ごした。

見ていると、スキーとスノボ、身体の使い方が全然違う。
主人も、思ったより大変なようで、結構必死な顔をしていて笑った。

道具の装着の仕方、リフトの乗り方、歩き方や転び方などを習ったら、もうリフトで一番緩斜面の、短いコースに上がっている。

私の若い頃は、スクールっちゃ自力で登ったり下りたりしたものよ・・・って思ったけど、今はすぐにリフトで上がるのね。

1時間半のスクールが終わるころには、斜面を斜めに降りてくるくらいの技術は身についたようだから、大したものだ。

「どうだった?」
「いや~、すっげ疲れた」
主人は早くも弱音を吐いている
「とりあえず、休憩休憩!」

少し早目だけど、休憩を訴える主人に従い、ランチをとる。
レストハウスはごった返していた。
他に行くにも、また板をはいて移動になってしまうので、なんとか席を見つけて、ご飯を食べた。

午前中で精根使い果した風の主人と比べ、甥っ子は涼しい顔をしている。
ご飯を食べたら、早くゲレンデに行きたそうだ。

さすが現役中学生は上達がはやい

午後は3人で滑ったが、甥っ子の上達は目覚ましかった
リフト一本ごとに、降りていくスピードが速くなる。
それに比べ、主人は、転んだらなかなか立たなくなってきた。

「ずっと転んだままだと危ないよ」
「そういうな、くたびれちゃってなかなか起き上がれなんだよ!」

甥っ子は楽しくなってきたようで、そんな主人を待っていられないらしく、どんどん姿が見えなくなる。

「じゃあ、周回遅れで拾っていくから、ゆっくりやってなよ」
「そ、そうしてくれる?」

日ごろ負けず嫌いな主人に、こんなことを言っても平気だとは・・(爆笑)
こうみると結構サマになっている主人

スキーは面白くなりかけが危ない。
昔、従弟が一緒に滑っていて、最終日に骨折したことがあった。
このことが、かなりトラウマになっているので、私は甥っ子が視界から消えるとかなり焦る。

甥も、途中途中で一応私たちが降りてくるのを待っている。
今度は二人でリフトに乗った。

続けて滑っていると、ポカポカと暑いくらい。
私もちょっと調子に乗っていて、このコースじゃ自分は転ばないだろう、ってタカをくくっていた。
甥っ子を追いかけて、ちょっとスピードを出しすぎたところで、反対側から来たスノボのお姉さんを除けた瞬間、板が雪に引っかかり前のめりに大きく転んだ。
「ジュッ」
なんか変な感触があった。

板が外れたので、付け直そうとみたら、左の親指から血が出ている。
エッジで引っ掛けたらしい
そう、実は、あまり暖かかったので、ニットの手袋しかしていなかったのだ。
「やばっ!」
たいしたことないだろうと、手袋を外したら、親指の付け根のあたりが結構切れていた。
後で見たら、手袋もすっぱり切れていた。

「やまやの父」に知られたら、めちゃくちゃ叱られそうだ(-_-;)。

空中にボンっと父の姿が浮かび
「ほら!言わんこっちゃない!どうして父さんの言うことを聞かないんだ!」
と、怒鳴り散らしている(-_-;)

ポタポタと血が落ち、雪の上が赤くなってきたので、ちょっと動揺してきた。
まずは、ここから立ち去らねば・・・(^^;)

リュックに、バンドエイドを入れてきたことを思い出し、とりあえずそれを出そうと思うが、血がたれてうまく貼れない
雪で傷口を洗って、タオルで傷を押さえ、なんとか絆創膏を巻いて、下まで降りていく。
主人と甥っ子がいたので
「ごめん、ちょっと指切っちゃったから、診てもらってくる・・・」
スキー場には必ずあるはずなので、係りの人に聞いて、「救護室」へ行き、消毒をしてガーゼを巻いてもらった。
えっ、私の写真これだけ??

「傷はそれほど深くないみたいですけど、傷口が大きいので、血が止まるまで手を上にして、休んでいた方がいいですよ」

救護室のお姉さんは、氷で冷やしてくれ、取り替え用のガーゼを持たせてくれた。
「ご迷惑おかけしました」

あ~あ、やっちゃった・・・

主人と甥っ子のところに戻って、ちょっと休んでる、と言ったら、主人も
「そうだそうだ、ちょっと休憩だ」とついてくる(^^;)。

面白くなってきた甥っ子には悪いが、少し休憩。

好きなもの買っておいで、というと、大きなケーキを買ってきた。
確かお昼もカレーとピザを平らげたはずだが・・・
恐るべし成長期、これだけ食べてももやしのように細長い・・(^^;)

氷で冷やし、手をあげていると、血が止まったようなので、30分ぐらいしてまたゲレンデに。


リフトの本数だけ、甥っ子はうまくなる。
本人もウレシイらしく、日ごろ口数が少ない彼にしては良くしゃべる。

「スキーもやってみたくない?」
「いや、俺、スノボがイイ」(ああ、そうかい)

私は怪我人、主人はバテバテだが、楽しそうな甥っ子を見ていると「早めにあがろう」とは決して言えず。
リフトが止まる16:00まで、できるだけ滑った。

本当は、新幹線の駅があるところまで、滑って降りられるのだが、コースが狭くて危ないということで、ゴンドラで降りることにした。
主人は心底ホッとした様子だったが、甥っ子は残念がっていた。

この後、駅にある温泉に入って着替えて帰る予定だったけれど、手袋を外したら、やっぱりまだ出血していたので、お風呂はあきらめることにした。
主人と甥っ子は温泉に行ったけど、めちゃくちゃ混んでいて、1時間待ちとか言われたらしく、入らずに戻ってきた。

お土産を買って帰りの新幹線に乗り込む頃には、もうスイッチ切れそう。

地元まで戻り、デパートで夕食を食べ、タクシーで家に帰った。

帰るころから、すでに始まっていた筋肉痛は3日続いた・・(^^;)
翌日曜日は、主人も私も虫みたいなギクシャクした動きをしていた。

でも、やっぱり楽しかったな・・・

もし甥っ子が来年も行きたいって言い出したら
その時は、少し前から、身体を鍛えて臨もうと思う、叔父さん夫婦であったことよ・・・



《おまけ》
お土産は??

5時半から21時半まで超ロング留守番を頑張ったチッチ君。
ちゃんと帰って散歩もしましたよ~

| トライ・トラベル・トラブル | 23:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ディープな3月

久々の新幹線~♪

いやはや
書きたいことはたくさんあるんだけど・・・
なんもないときは、1か月も2か月もな~んもないことだってあるのに
次から次から、なんやかんやと続いている。

14日には、新卒の時にお世話になった上司に、12年ぶりにあってきた。
この話、書こうと思ったけど、思い入れが強すぎて文章がまとまらなかった・・・^^;
前説だけで3ページ書いて挫折・・・(-_-;) ダレも読まないって・・(-_-;)
(そういいつつ、さっきこそっとアップしちゃったけど)

そして先週末は、実に20数年ぶりにスキーに行ってきた。
これもいきさつを書くと長くなる。

去年の秋ごろ、主人が突然「甥っ子(下)を連れてスキーに行きたい!」と言い出したのだ。

甥っ子もこの春から中学3年。
ますます、叔父さん夫婦などと遊ぶ時間はなくなる。
その前に、思い出作りがしたい、今まで経験していないことをさせてやりたい。

気持ちはわかる。

しか~し!

それがなぜに「スキー」なのか・・・???

コレについて、私は主人に一言モノ申したく・・・。

実は、
超・運動音痴な私が、まともにできるといえるスポーツと言えば、スキー(と水泳)くらいなのだ。
なにしろ、「やまやの娘」なので、スキー場には1歳5か月(今から約半世紀前^^;)から連れていかれ、ゲレンデでオムツ(もちろん布おむつ)を替えた、というのが両親の自慢(?)だったし、高校生くらいまでは、毎年正月は八方尾根の山の上にある山荘で過ごしていた。

大学時代や、社会人になりたての頃はスキーブームだったし、そらもう、水を得た魚のように、張り切ってスキーに行っていた。

ところが、主人とは一度も行ったことがない。
主人もスキーは何度か行ったことがあるそうなのだが、私が「一緒に行こう」といくら誘っても行こうとしなかったのだ。

寒いところが嫌だとかなんだとか、色々理由をつけてはいたが、要は、負けず嫌いな主人のことだ、私の方が優位に立ちそうなスポーツは、行かないと心に決めていたのだろうな。

(-_-;)

主人が行かないとなると、私も自然と行く機会はなくなる。

それを、20年以上たった今になって、
しかも!数年前まで大事に取っておいた、板やブーツ・・・、その他もろもろのスキーグッズも、全~部「断捨離」だと言って捨てられてしまった、今になって、
急になぜに、主人の口から「スキーに行きたい」という言葉が出るとは!

なんでやねん!

と、ぶんむくれる私は、了見が狭いだろうか?(いや、狭くない!断じて!)

「いいよ、じゃオレとマー(甥)と2人で行くから」
「なんでそうなるのよ!」
「行きたいのかよ!」
「ぐっ・・・(本当は行きたい)」

というわけで・・・(^^;)
6時台の新幹線・・・(^^;)

スッタモンダはあったのだが、結局スキーにはいくことになった。

「で、どうするの?」

言い出しっぺのくせに、例によって結局主人は何も動かない。
甥っ子に「スキーに連れていく」と約束だけは取り付けてしまっているので、嘘はつきたくない。
主人が動くのを待っていたら、夏になってしまう。

最終的に、しびれを切らした私が、パンフレットを取り寄せ、日程をつめ、予約を取り、支払いをし、チケットを取りに行くことになるのだ・・・(いつもこう(-"-))

道具も何もないので、レンタルが充実しているといえば、ガーラ湯沢しかない。
それこそ、ガーラができたての頃、会社の先輩たちと行ったことがあったなあ~(遠い目)。

ガーラ湯沢なら駅から直結でスキー施設なので、手ぶらで行かれる。

ということで行き先は「ガーラ湯沢」に決定。

日程も二転三転した。

意外と混んでることを知らなかったので、お天気も見て、行こうと思えば前日でも予約が取れるものかと思っていたら甘かった。
ガーラ湯沢行の直通新幹線は、朝晩、数本しかない。

特に土曜日は混んでいる。

早くて2週間後か・・
予約を取ってから、甥っ子に電話すると、その週はなんと期末テストの前日だった・・(^^;)
さすがに、試験前にスキーはまずかろう。

翌週は私が用事があったので、じゃあその次は?え?仕事かも??・・・と、どんどんズラしている間に、3月も後半に突入。
雪が融けて春が来ちゃうよ~

うだうだうだうだ・・・

(^^;)

結果、「春分の日」に行ってきたってわけです。



《長くなったので続きは次回・・・(えっ!今回前置きだけ?)》

| トライ・トラベル・トラブル | 23:52 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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遥かなる想い

本文とは関係ありませんが・・

ワイルドな性格が災いし、青春時代何かと苦労した、という話を、何度か書いた。
母には「私が生んだ子じゃないみたい(に怖い)」と言わしめた。

そんな私だが、約半世紀生きてきて、最近は我ながら「丸くなったなあ」と思う。(体型の話じゃにゃいよ^^;)
そして、それ以上に我ながら「普通の人になれたなあ」と思う。

両親は、生真面目で実直な人間だが、考え方としてはちょっと変わっているというか、ぶっとんどる、というか・・・・(-"-)
世間一般常識や、オーソドックスな、一般人的思考から逸脱していることが多々ある。

そんな親に、ほぼ放任で育てられた私は、社会に出るまで、また、出てからも何かと苦労した。

でもまあ、10代も後半、ほぼ大人になって以降は、親の責任というのはあまり関係がないかな、とも思う。

いまでこそ、インターネットでなんでも調べられるから、たとえばこういう時はこうするもの、みたいな、マナーであるとか、社会の風習であるとかを、簡単にググることができるが、若い頃はそんなものはなかった。

でも、知ろうとすれば、調べようはあるものも、別に気にせず、調べる気もなかったのだ。
普通の女の子のように振る舞うことが、恥ずかしくてどうもできなかったし。
結果、時折「普通と違う」一線を越えてしまったり、くすくす笑われるような始末になったわけだ。

「普通」ってナニ?人に迷惑をかけたわけじゃなし、何が悪いの?みたいな
不思議な自尊心もあいまって、まあ、ちょっと変な人だったかもね。

要は、呑気で、お子ちゃまで、茫漠と若さの無駄遣いをしていたのかもしれない。
あの頃の自分に戻れるなら、
いや、もしもあの頃の自分にアドバイスをすることができるなら、言ってやりたいことは山ほどある。

そんなおバカな私を、ここまで・・というか、まあ世の中のレールから逸脱することなく、現在に至るまで育ててくれたのは、ほかならぬ、周囲の他人である。

数少ない、学生時代からの友人たち。
お世話になった先生
近所に住んでいたおばちゃん。
学校帰りの喫茶店のマスター
そして、会社の上司や先輩たち

なかでも、私が社会人としてそれなりに成長していく過程で、強烈な影響を与えてくれた人物が何人かいる。

その中の2人に、久しぶりに会ってきた。
25年前の上司だ。

新卒で入社した会社の、直属の上司、当時主任だったAさんと、課長だったSさん。
また、同じ部でかわいがってもらった先輩(といいつつ年下だけど)のYさんと私の4人。
ホワイトディの3月14日
10数年ぶりにランチをご一緒させてもらった。

Sさんは御年81歳、今でも毎日スポーツジムで身体を鍛え、駅の階段もサクサク上る。

Sさんには、会社時代から、現在に至るまで、毎年バレンタインデーに贈り物をしている。
お返しに、と必ず3月14日には、私の贈った子供だましのようなプレゼントに、そらもう倍返しで、立派なお花が届いたり、気の利いた和菓子が届いたり。
かえってもうしわけないとは思いつつ、もう20年以上も、そんなやり取りが続いている。

このイベントのおかげで、毎年2月と3月に、必ず電話する機会ができる。
前の1年をどんなふうに過ごされたかは、そのときに聞けたので、久しぶりにお会いしても、それほど久しぶりな感じはなかった。

今年いただいた年賀状に、去年の夏1週間入院された、と書かれていた。
松が明けてすぐ、一度電話して、命に係わる病気ではなかったことを確認し、安堵したが、
その時、会おうと思えば、いつでも会えると思って、先延ばしにしていてはダメだ、と思った。
それで、私から「会いませんか」と、Yさんに連絡を取ったのだ。

Aさん、Yさんとは、実に12,3年ぶりだ。
Aさんが、私の上司だったのは数年で、Sさんが退職された後、じきにアメリカに赴任してしまった。
日本に帰国された際に一度会ったが、その後、なかなか会う機会がなかった。

Aさん、Sさんという、会社でもかなりキレ者だった二人に育てられた私は、他のどの上司も物足りず、また、新しい上司にも、私のことが扱いにくいのか、お荷物にされた。
景気の悪化、事務所の移転や、私の結婚などなど、その間色々あったが
結局、9年で会社を辞めた。

今でも、この二人と机を並べて働いていたころのことが、奇跡のようにも思える。
懐かしくてたまらない。

先に書いたように、「会社員とは」、「仕事とは」・・から教わらなければならなかった私に、実際のところ二人は、私になにか丁寧に教えてくれたわけではなかった。

「職業人とはこうあるもの」
「人事部の人間とは、こういうものだ」を自ら示してくれただけだ。

次の年に入ってくる新入社員を選考するために、応募者に会社の説明をする。
Aさんの説明を、2,3度、後ろに立って聞いていた。
「聞いてたな、じゃ、つぎやってみろ」
「えっ?」
10数人は集まった一つ下、場合によっては年上の応募者の前で、いきなり入ったばかりの会社を説明し、質問に答えなければならないのだ。
「そんなの無理です」
「大丈夫、ダメだったらフォローしてやるから」

仕事中、間違っていればビシッと叱られる。
電話などでも、私が間違ったことを言っていれば、切った後すぐに指摘された。

事務作業も、当時はまだパソコンはなく、手作業も多かった。

Sさんは、中もロクに確認せず判を押す。
現金の出金伝票などは、これこれに使いました。・・と説明しようとすると、聞きもせず
「机にあるから(印鑑が)押しといて」

自分の部下を全面的に信用する。
信用された方はたまったものではない、何かあったらSさんの責任になるのだ。
間違いが起きないよう、かえって慎重になる

そうかと気を緩めていると、時々ドカンと叱られる。
会議の資料を必要部数、コピーをとり、まとめてホッチキスでとじる。

人数分まとめて、Sさんに渡すと
「なんだこれは!」
突っ返される。

何が悪かったかわからない。

書類がきちんと角で揃えられていない、資料の折り目が曲がっている。
「こんなの使えるか、カッコ悪い!」
大きな声で叱られる。
でも、叱るのは一度だけだ。

同じことを私が繰り返したら、もう二度と同じ仕事は頼まれない。
だから、一度叱られたことは、絶対にもうしない。

嫌われたくないし、また、仕事を頼まれたいから、こちらも必死だ。

Sさんの机の引き出しはいつもきちんと整理され、必要最小限の書類しかなかった。
古い資料はみんな処分してしまう。
経過は頭に入っているので、古い書類は不要なのだ。

こんなカッコイイ、サムライのような上司とは、多分もう出会えない。
二人の下から離れたときの喪失感は大きかった。

母にはよく
「お前は、初めが良すぎちゃったから、我慢がきかないんだね」って慰められた。

22で大学を卒業し、25年以上会社勤めを続けてきた。
二人と机を並べていたのは、そのうち数年だ。
でも、私の心の中で、上司というか、「ボス」は今でもこの二人なのだ。

食事はとても楽しかった。
日本橋のべに花は、Sさん御用達のお店だ。
4人でテーブルを囲んで、とりとめのない話に花が咲く。
とても12年ぶりには思えなかった。
明日もまた、隣に座って話の続きができそうな気になった。

この日のランチをアレンジしてくれたY先輩も、年下だけど、私はとても尊敬している。
社内での身のこなし方を、私はずいぶん、この人から学んだ。
ニコニコといつも朗らかで、でも言うべき時はピシッという。
必ず、相手を尊重して一歩引き気味に話す、実際には核心に触れていても、この人が話していると怒る人はいないのだ。

彼女は結婚し、子供を4人も産んで、育児に追われながら、いまもこの会社に勤めている。

今は、アメリカから戻ったAさんが人事部長で、その下で一緒に仕事をしているそうだ。

今まで、この会社を辞めたことを後悔したことはあまりなかったけれど、
そのことを聞いたとき、本当に羨ましかった。

本当は伝えたいこと、話したいこと、色々あったはずなのに
世間話をして、散々笑って、近い再会を約束して帰ってきた。

今の私が、今の私でいるのは、みなさんのおかげである。

一番伝えたかったけど言えなかった
ありがとうという気持ち

伝わっているといいなあと、そう思う

| ひとりごと | 23:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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It's nice to have your own dog to talk to

話しかける自分の犬がいるっていうのは素敵だね

動物を飼っている人は皆さん同じはずだ・・・って思うけど。
私は毎日、チッチとしゃべっている。

散歩中も、家に居る時も、普通にチッチと会話しちゃうので、知らない人から見れば「ちょっと怪しい人」かも・・・

もちろん、実際にはチッチはしゃべらない。
チッチの気持ちを察して、私が代弁しているので、完全に一人芝居の状態なのだ。

これもご他聞に漏れず・・・
どこのお宅でもそうだと、信じてやまないが

チッチのことを「チッチ」と呼ぶことは少ない。
・・・これって、犬飼いアルアルかな??

チッチを呼ぶときはだいたい「ちぃちゃん」が多い。
叱る時は「チーっ!」

そして、私がチッチを演じる時(?)はチッチのことを「オレサマ」という。
「オレサマはね、今日はこっちに行きたい気分!」 とか
「オレサマもっと、美味しいが食べたい!」 とか
「早くオレサマを抱っこして二階に連れて行けよ!」 とか

いつからそう言う様になったか、覚えていないし
別に、チッチが偉そうに見えたわけでもないんだけど。なぜか「俺様」なのだ。

散歩中の私は、本当に怪しすぎる・・・(――;)
夜の散歩が多いので、人に聞かれることは少ないと思うけど
11年も一緒に暮らしていると、チッチと私の関係はガラパゴス化している。

この前、いつもどおりチッチとベラベラしゃべりながら(正しくは私が一人でブツブツいいながら)散歩をしていたら、背後から

「ワンちゃん、脚が悪いんですか?」
急に声がしてたまげた。

びっくりして振り返ると、真後ろに上品な感じのオバさまが立っていた。

「ええ、そうなんです、ヘルニアになってしまって」
「あら、そうなんですね・・それで靴を履いているんですか」

と、ここまではよくある会話。
そのあと、ずーっとこのオバサマが、後をついてくる。
正確には、向かっている方向が一緒なだけだと思うけど、ピターッと私とチッチについてくる。

聞けば、少し前に大型犬を亡くしてしまったそうで、散歩している犬を見ると、色々と思い出してしまい、懐かしくてたまらないそうだ。

実はそろそろ、Uターンして家のほうに戻って行きたいのだが、オバサマがしみじみと話し始めてしまって、切り出せない。

チッチは、おかまいなし・・っというか、私がオバサマに気を取られているので、好き勝手にクンクンするわ、オシッピするわ、行きたい方へどんどん歩くわ、やりたい放題・・・(ーー;)

結局、普段よりず~っと遠くまで、一緒に歩いていってしまい、戻るときは途中まで抱っこで帰ってきた・・(^_^.)

いや~恥ずかしかった・・・(*^_^*)
いったいどの辺りから、私の一人芝居を聞かれていたんじゃろか・・^^;

まあ、犬を飼っていらしたとのことなので、そんな「ヘンな人」とは思われなかったかもしれないけど・・・今度からもちっと気をつけよう・・・


タンポポをふーしたことがないなんて!

It's nice to have your own dog to talk to
これ、私がSNSでフォローしているスヌーピーのサイトで、日替わりで更新している「今日のひとこと」みたいなの。
英語の勉強も兼ねている。

この日のフレーズに、グッときた。
毎日当たり前のように、チッチを相手におしゃべりしていて、気づかなかったけど。

こんな風にチッチとおしゃべり出来るのって、しあわせなんだ。
あのオバサンは、もう「自分の犬」と話せなかったんだね。

そう思ったら、ちょっと涙がでた。

| 愛犬チッチとの愉快な日々 | 23:18 | comments:6 | trackbacks(-) | TOP↑

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4年目の3.11

2011月3月12日の梅

東日本大震災から4年。
今週、テレビはずっとその特集ばかりだ

今日は4年前のあの日と同じくらい寒い一日だった。

昨日のことのように鮮明に覚えていると思っていたけれど
久しぶりに、この頃の日記を読み返してみたら、忘れていることも多かった。

写真は2枚とも2011年3月12日に撮ったもの。
3月11日、電車が止まり家に帰れず
翌日の昼過ぎにようやく家に着いた。

チッチ、まだ若いね・・・

前の晩一睡もしていないし、すごく疲れていたはずなのに、夕方、近くの公園まで散歩に行っている・・・?
梅の花が満開、暖かい日だったらしく、チッチは裸ん坊だ・・・

そう、まだこの時は、前夜起こった未曽有の大災害について、全くと言ってよいほど、実感がなかったのだ。

日を追うごとに、事実を目の当たりにし、恐怖や不安が増していった。

ガソリンや灯油の不安、物資の不安、そして電力不足、停電の不安。
余震の恐怖、通勤の不安。
会社に行くために家を空けるのが、すごく怖かった。

恥ずかしながら40代後半のこの歳にまで、ひとつも体験したことがなかった。
自分の生きている時代には、起こることではないように思っていたのだ。

あの日から4年経った。

いまだに、地震は多いし、火山が噴火したり、自然災害も多い。
それでも、備えることをかなり怠ってしまっている。

心のどこかで
「あれほどの災害はもう起きないのでは」と信じたくなっている。

会社でも、街でも
節電、節電と言っていたのに、皆、忘れているかに思える。

報道番組で当時の映像が流れると、思わず目をそらしてしまう。

やっぱり、それでは、だめだ。

4年経ったいまでも
帰らぬ人がいることを

そして今でも
悲しみを胸に、不自由な生活を強いられている人がいることを

忘れてはならない

普通に電車に乗れて、通勤ができること。
職場が煌々と明るく、暖かいこと
家でネットで買った品物が、翌日には届くこと。
当たり前だと思ってはいけない

あの日を振り返って
今、自分がすべきことと
自分ができることを
もう一度見直そう

| ひとりごと | 23:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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三寒四温

早めの散歩でテンションイマイチなチッチ君

雨の多い3月である。
先月からずっと、毎週末何かしらあって、珍しく忙しい私。
今週も、本当は予定があったのが、キャンセルになったので、やれやれ、久しぶりに今週は2日のんびりできると思いきや、また用が入ってでかけてきた。

花の名前わかりません(^^;)

チッチ君、昨日シャンプーしたので、濡らしたくないのに、今朝もまた雨。
午後にはあがったので、出かける前に主人実家まで連れていき、早めの散歩。
主人実家の庭には、早春の花が咲いていた。

これはK公園の梅

慌ただしく過ごしている間に、季節はもう春。
庭先にある大きな梅の木も、いつのまにか満開になった。

これもK公園の梅とチッチ
(注:この写真は2月末のK公園デス)
バタバタしていて、日記も少し間が空いてしまった。

チッチ君は、おかげさまで元気にしている。
散歩中の脚の、好、不調は相変わらずだが、「こういうものか」と半ば諦めて、うまく付き合うようにしている。

気温とか、天気とか、あれこれ原因を考えたが、どうも、どれも当てはまらない。
どうやら、チッチ本ワンにも問題があるようで、調子が良い日は、調子に乗りすぎるのだ。
犬のくせに調子に乗りスギって・・と、始めは疑ったが、やっぱりそう(ーー;)。

調子が悪いときは慎重に乗り越えていた段差なども、ガガっといってしまい、引っ掛けたりつまづいたり。
挙句、散歩の途中で脚が攣り、大きく転んでしまい、私を驚かせたりするのだ。

何か問題でも??

足上げオシッピができないはずなのに、最近必ず片足を上げようとする。
また、後足ケリケリもやってみたくなったりして、腕立て伏せの途中みたいな姿勢でニッチもサッチっも行かなくなっていたりする・・・(-_-;)

まあ、叱っても仕方ないし、楽しそうに散歩しているチッチを見ると、まあいいや、って感じ。

朝も、ご飯を食べながらシリモチをついたりする日が10日ほど続いた。
お尻を私に持ってもらったまま、夢中になってご飯を食べている(-_-;)
その後のオシッピも、転んでなかなかできなくても、チッチはへこたれない。
私に腰を持たせて、なんとかオシッピをして
転びながらもご褒美(ワンコパン)を請求する。
チッチはほんとタフな(?)男なのだ・・・(^^;)

これは後輩君が送ってくれたスタンプ帳

せわしない毎日の中で、ちょっと楽しみだったのが
JR東日本で1月13日~2月いっぱい開催されていた「ウルトラマンスタンプラリー」
山手線や東京近郊の主要駅64カ所に、ウルトラマンや怪獣のスタンプが設置され、スタンプ帳が自由に置かれていたのだ。
10個押すと、記念品でメンコがもらえる。

こういった類で、夏にはポケモンスタンプラリーがあるが、さすがに手をだしたことはなかった。
でも、「ウルトラマン」しかも、私たち世代に馴染みの深い「初代ウルトラマン」や「ウルトラセブン」の怪獣だそう。

駅でポスターを見た瞬間に頭に浮かんだのが
「これ、たくさん押して、A君に送ろう!」

そう、パグ友、スミレちゃんちの、コロ助さん、息子さん(ここではA君ね)は大のウルトラマン好き。
ツイッターやFacebookで、よくその話を聞いていたので、ビビっときてしまったのだ。

大の大人が、怪獣のスタンプを押したいなんて・・って照れ臭さを、「A君のため」とスリカエたのは明らかだが(^^;)。

このスタンプラリーのおかげで、2月は通勤が楽しかった。

ただ、やってみて分かったのは、意外に私って行動範囲が狭い・・・
自宅最寄り駅(ちなみに、怪獣は「ウインダム」だった(^^)/)から情熱の町AKBまで、結構長い距離の定期はあるものの、通勤の行き来で、そう途中下車する余裕もなく。
いっこうにスタンプが増えない(T_T)

そうはいいつつ、あれこれ考えて、少しずつスタンプが押せる達成感は、ちょっと子供に還ったような、ワクワクした気持ちだった。

Facebookでその話をしたら、大学の後輩も手伝ってくれた。
私とは山手線で反対側が守備位置だったので、送ってくれたスタンプ帳は私が行かなかった駅ばかりだった。
きっと彼も「頼まれたからしょうがない」って言いながら、ワクワクとスタンプを押してくれたんだろうな。(B君ありがとう)

これ、コロ助さんが縫ってくれたエプロン!

そんなわけで

64駅はおろか、半分も押せなかったスタンプ帳2冊。.....
コロ助さんちに送ったわけだけど。
期待通りに、すっごく喜んでくれて、A君からお手紙をもらった。

実はお手紙以外にも、色々もらっちゃったんだけど(ゴメンね)
このお手紙のしっかりした字と、丁寧に書かれたバルタン星人を見て、すご~く感動してしまった「うさぎおばちゃん」である。
電話でもお話したが、本当にしっかりした受け答えで、感心した。

とても小学2年とは思えないしっかりしたお手紙

常々思うのだが、パグ友さんには、本当に「できた人」が多い。
どちらかと言えば、人付き合いの苦手な私なのだが、チッチを通じて10数年
本当に、助けられて、励まされて、喜ばされている。

実際にはいまだお会いしたことがないコロ助さんとも、おそらくお会いしたら、10年来の友達のように、久しぶりに会ったような感じで、くったくなく話せる自信がある。

これは、チッチがもたらしてくれた、財産だなあ・・

| 愛犬チッチとの愉快な日々 | 23:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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